なぜお祭り評論家になろうと思ったのか?

なぜと言われても・・・気がついたらなってました(笑)

でも、子どもの頃から、祭りとか、賑やかなことは好きでした。
秋祭りで、近所の道路にだんじり囃子が鳴り響いたら素通りできず、家から飛び出てしばらくだんじりの後ろをついて歩くような子どもでした。

生まれ育った東大阪市は、岸和田(84台)、堺市(88台)や大阪市(83台)ほどではないにせよ、63台ものだんじりがある「隠れだんじり王国」です。(ふとん太鼓と呼ばれる、いわゆる太鼓台も盛んです)
※だんじり小屋ホームページ 各都市だんじり保有台数一覧より
http://www.danjirigoya.danjiri.info/tanig/dnjr/information/bunpu0.htm

お祭り好きな家族であれば、幼稚園くらいから子ども会を通じてだんじりの曳き手をつとめ、小学生くらいでお囃子の稽古に入り、大きくなったら保存会組織などに入って積極的に運営に携わるようになるのが一般的とされています。

でも、こども会とか、だんじり保存会などで、地元の祭りにしっかり入り込んで祭りにのめり込む機会には恵まれず。
当時はそういう場所に入ることを想像もしてなかったのか、それとも古くからの住民でなかったので保存会に入れてもらえなかったのか、それは今となってはよく分かりませんが、祭りに参加するほうにはご縁がありませんでした。

大学は、職人だった親父の背中を見て、手に職をつけたいということで、理工学部を選ぶ。当時は、まさかお祭りがメシのたねになるとは夢にも思わなかったですね。
もし高校生のときにそういう道を目指すと分かっていたなら、大学で文学か民俗学か社会学かを専攻し、大学教授を目指すか、新聞社か出版社かに就職し、独立して評論家になることを目指していたでしょう。

でも、大学時代に、たまたまパソコン通信ニフティサーブのオフ会で、青森ねぶたを見に行ったのが、運の尽きだったわけです。
飛行機の切符がとれるとは思って無くて、夜行列車の寝台券がとれなかったら諦めようと、よりによって出発のその日に鶴橋駅みどりの窓口にいったら、寝台券、最後の1席が残っていたのです。

で、行くことになりました。

ねぶたは、衣装を着れば観光客でも誰でも祭りに参加できるのが最大の魅力。頭の中が空っぽになるまでハネ続け、そのときからねぶただけではなく、全国各地のいろんな祭りに行ってみたいと思うようになりました。

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